さて、この度私はバンコクのワットパクナムにて短期出家体験をしてきました。
その動機としては、私はかねてより何事にも揺るがない強い心を持った人間になりたいという思いを持っていたのですが、自身の心をコントロールする難しさを実感しており、「今日は絶対に心穏やかに過ごそう」と自分に誓って家を出ても、なかなかその誓いを守れない時もありました。
そこでそんな自分を変えるべく、出家がそのきっかけになればという思いで決意しました。
出家中は自身に向き合って色々なことを考える時間にしたいと思っていましたが、実際にはそんな甘いものではありませんでした。
とにかく密に予定が詰まっていて、毎日のルーティンをこなすので精一杯でした。
起床は4時。朝の講話、出家修行者のみでの読経、朝食、読経、学校が8時より10時まで、昼食は11時でその後は何も食べてはいけません。
午後は学校が2時から4時まで、5時から夕方の読経、瞑想、夜の読経、講話と続き、終わるのが9時です。
しかも私はタイ語が分からないので、授業を聞いていても全く理解できませんでした。
そのような環境で9日間過ごしたのですが、そんな中で最も有難かったのが一緒に暮らす先輩僧たちの私に対する心遣いでした。
彼らは私のことを「そう」と呼び、袈裟をうまく着ることが出来ない私に優しく教えてくれたり、授業中に指名された時には「彼は日本人でタイ語が分からないので・・・」と先生僧侶に説明してくれたりもしました。
読経の時間も大変だったのですが、英語版の経本があったため、何となく皆と一緒に口を合わせることが出来ました。
出家生活で唯一楽しみであったのが瞑想の時間でした。
最初はタイトなスケジュールが厳しくて全く余裕がなかったのですが、慣れるにつれ瞑想にも余裕をもって取り組むことが出来るようになり、呼吸にしっかり集中できるようになって終了後は頭がすっきりした自分を感じることが出来ました。
食事については一日2回のみで大変と思われるかもしれませんが、かなりの量が出て来る上、一日中座った生活をしているので空腹で大変と感じたことはありませんでした。
ただ、若い僧侶たちはその限りではないでしょう。
メニューはタイ料理がメインで、一人一台用意されたテーブルでは置ききれないために二段重ねとなることもしばしばでした。
そして私たちが手を付けなかったものを在家の方に配るのですが、それがまた在家の人にとってはありがたいのだそうです。
一度KFCのフライドチキンが出てきたことがあったのですが、これは皆に大好評のようでした。
今回の出家体験ではタイのお寺が人々の生活に深く根差していることが実感として理解できましたし、タイではとても戒律が厳しいため、日本と違い僧侶の社会的身分が高いことも理解できました。
しかし、この体験で何か自分が変わったことや成果はあったのかと聞かれれば、「今はまだ分からない」というのが正直な実感です。
ただ、今後もタイで暮らしていく私としては、タイ人をより深く理解する一助となることだけは間違いないと思っています。